未読を拾い読みしているのだが、「道草」は愉快な小説だった。
一応、本人の生活をモデルにするが、
冷ややかに己の人生や伴侶を描く力量が見事だ。
多少也とも都合悪い出来ごとをごまかしてしまうのを
逆に徹底して皮肉に描いたのが、その魅力になっている。
たぶん、実生活でもこんな滑稽なやり取りをオープンしていたのだろう。
でなかったら、到底あんな小説にはならぬ気がする。
「二百十日」は三遊亭円生の落語のようだ。
会話形式が八割以上の、一応旅行記。
圭と碌の二人の若者が、阿蘇山麓の宿にいて火口をのぞきに行こうとしている。
その宿では実にどうでもいい話をしている。
道すがらの鍛冶屋の様子やら、ディケンズの「二都物語」(ジッチンズ「両都物語」)、
華族や金持ちへの文句など、ラジオもテレビもない時代の話の感覚化にあふれている。
確かに俳優の朗読は見事だが、見事すぎる点が欠点でもあろう。
円生もらえば良かったのに。