2009年8月24日月曜日

「メイキング・オブ・ブレード・ランナー」



この映画で一番好きなシーンは、
車に乗っているのに、ストリート・ギャングに
タイヤとかの部品を盗られるシーンだ。
そのギャングが子供とか小人、まるでボッシュの
地獄図未来版。

この場面一つで、
一体この映画の世界がどんな社会かがよくわかる。



リドリー・スコットが編集の権利が無く、
彼の意に添わず、
遅れに遅れ、制作費のふくれあがった名作は勝手に公開された。

確かに何年かの後の「完全版」とか「ディレクターズ・カット版」
リバイバルもあり、リドリー版も公開された。

そちらは見てはいない。必要がない。
なぜなら、その封切りの荒っぽさが好きだからだ。
確かに監督の意に添わなかったかもしれないが、
観客のイメージはおおいに喚起した。

わからなさも含めていいのだ。

映画に関して、後の、時間をおいた編集は、
プロデューサーに途中で作品を取り上げられたりと
なんとしても自分の手でもう一度と思うのはわかるが、
これで良かった作品は知らない。
「ニューシネマ・パラダイス」も、
蛇足以上で、なにかしら後味が良くなかった。


公開された段階で、客のものなのだ。
あの「地獄の黙示録」もカンヌ公開のタイトルの入ってない
のが一番いい。

たぶん、タイトルもキャストも何も入っていない映画は
あれがはじめてだ。
未だにその一本。

それが映画の体験なんだと思う。

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