2009年8月24日月曜日

「メイキング・オブ・ブレード・ランナー」



この映画で一番好きなシーンは、
車に乗っているのに、ストリート・ギャングに
タイヤとかの部品を盗られるシーンだ。
そのギャングが子供とか小人、まるでボッシュの
地獄図未来版。

この場面一つで、
一体この映画の世界がどんな社会かがよくわかる。



リドリー・スコットが編集の権利が無く、
彼の意に添わず、
遅れに遅れ、制作費のふくれあがった名作は勝手に公開された。

確かに何年かの後の「完全版」とか「ディレクターズ・カット版」
リバイバルもあり、リドリー版も公開された。

そちらは見てはいない。必要がない。
なぜなら、その封切りの荒っぽさが好きだからだ。
確かに監督の意に添わなかったかもしれないが、
観客のイメージはおおいに喚起した。

わからなさも含めていいのだ。

映画に関して、後の、時間をおいた編集は、
プロデューサーに途中で作品を取り上げられたりと
なんとしても自分の手でもう一度と思うのはわかるが、
これで良かった作品は知らない。
「ニューシネマ・パラダイス」も、
蛇足以上で、なにかしら後味が良くなかった。


公開された段階で、客のものなのだ。
あの「地獄の黙示録」もカンヌ公開のタイトルの入ってない
のが一番いい。

たぶん、タイトルもキャストも何も入っていない映画は
あれがはじめてだ。
未だにその一本。

それが映画の体験なんだと思う。

2009年8月23日日曜日

「ゲド戦記外伝」




ル・グウィンのゲドシリーズは魅力的。
外伝にあたり冒頭、作者がふさしぶりに
この物語世界を訪れてみたら、様変わりしていた
と記されている。

そして
ここにいくつかの短編的な断片がまとめられている。
物語にはその空間独特の時間が流れている。

この体験的な感覚がいい。

その世界が描き過ぎずに表現されている
やはりこの作家ならではだろうか。

2009年8月19日水曜日

「1Q84」。


「1Q84」。二回目。とても面白く読んだ。

ヤナーチェックの「シンフォニエッタ」で始まる
この小説はその曲のせいもあって映画的だ。

これは印象のせいかもしれないが、「説明的」な気がしてならない。
しかし多分説明はしていないはずだ。
そう言うことをもっとも嫌う作家だからだ。

もう少し精確いえば、「海辺のカフカ」に比べて説明的な印象が強い、
というべきかもしれない。
印象という言い方は曖昧だが、表現のきめがそう持たせるのかもしれない。
なるべくわかりやすくしようと書いているため、重くなるからだろう。

もちろんある分では親切さを感じる。
新しい読者にはそれでいい。
特にイスラエルでの受賞もあった
新作期待にはじめて手に取った読者には嬉しいとても配慮だろう。
さて
その「印象」のためか、
「カフカ」よりもイメージの飛躍や振幅は限られるように思う。
青豆の胸ように左右非対称の間を交錯する。

これまでの古い読者からすれば、イメージの重なり、
ジャンプが欲しいところと感じたのは私だけじゃないと思う。