2011年9月20日火曜日

石牟礼道子「苦海浄土」


ミヒャエル・エンデの「ハーメルンの死の舞踏」には、お金のイメージが明確に描かれている。
あの笛吹きが街から大量に派生したネズミを笛で退治する話が用いられ、
エンデはお金の魔力をとてもうまく表現している。
欲と権力にかられた街の権力者たちが地下に秘かに巨大なネズミ大王の魔像を隠しているが、
この無気味な像を一回転させると、その尻から金貨を一枚生み出す。
と同時にネズミも一匹うまれる。これが街をネズミだらけにし、病気を蔓延させている。
なんとも的確で象徴的だ。
「苦海浄土」を読むと、この寓話どおりなのだ。
水俣の美しい内海が窒素の工場の廃液で汚され、やがては魚をとり食べる漁師からあの忌わしい病状が出てくる。
不知火の田舎に産業と雇用の幸福をもたらす窒素工場は、陰と陽の金貨とネズミを生み出す魔像のようだ。
社会生活の未来とお金を生み出す一方で毒を生み出す。
しかし読み手を震えさせるのは、廃液を浄化したという偽りの広報と、県や国の無関心さだろう。

おそらく3.11の原発事故が起こらなければこの本を読む事はなかったかもしれない。

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