映画監督ビリー・ワイルダーは、作品をスクリーンで見るようになった時にはすでに名匠だった。
それも年齢とともに下り坂にはいっていた。
同時代的に見たのは、「シャーロック・ホームズの冒険」で
あまりおもしろいとは想わなかった。
それ以上にテレビで見た「サンセット大通り」「アパートの鍵かします」
「第十七捕虜収容所」「お熱いのが好き」などがよかった。
そういう点では、ヒッチコックも同じだ。
しかしこのインタビュー自伝は、おもしろい。
ナチスの手から逃げ延び、なんとかハリウッドで仕事を求める。
映画業界は今と違ってさらに興行的な山師の集団。
ワイルダーの皮肉たっぷりのまなざしは時に、自分の映画にも向けられる。
この人は、社会を冷ややかに愉快に見る力がある。
だからそこ、あのような名作を創ることができた。
それにしてもユニークだと想ったが、彼はピカソやマリーニなど近代の美術のコレクターでもある。
「近代」というのも変だけど、その当時は皆まだ生きていた。
その目利きの彼がオークションで買った作品を売る。
きっかけが、収集仲間が死ぬと、その未亡人や再婚した夫が嬉々として売るから
自分もその訳が知りたくてやってみたという。
これを元手に若手の現代美術を買うようになった。
その後、長生きしたワイルダーは、同業者のキャメロン・クロウとも対談しているのだが、
これももう一度読み返そうと想う。
ビリーワイルダーの人生
と、この語り口は自身の幾つかの名作と同じくらい、おもしろい。
2010年7月23日金曜日
2010年6月18日金曜日
「CLENT」リチャード・シッケル

「CLENTクリント・イーストウッドレトロスペクティブ」リチャード・シッケル著。
クリントと言えば、あの映画だ。
……たしかに
映画好きは、評論家に近い批評を下す傾向がある。
が、それははがばかしい。
「荒野の用心棒」1964年は、黒沢の「用心棒」の盗作だが、
これだけでセルジォ・レオーネ監督を見下してしまうのは惜しい。
まず黒沢明だけど、
この日本の名匠に与えられたのは、映画における斬新なオリジナリティで、
その新たな価値づくりなのだ。
全部、オリジンが黒澤明に与えられた使命なのだと思う。
だから、
「続・姿三四郎」はけっして成功しているとは言えない。
それを監督自身も肝に銘じている。
「羅生門」、
これによってベルイマンの「処女の泉」やフェリーニに「道」を作らせる動機を裏付けたということだ。
つまりそれまでの映画のテーマの価値転換を果たしたわけだ。
黒沢はその後そうした斬新さが求められ、しかもその世界の期待に応えてきた映画監督だ。
だから、遺作「まあただよ」はあれほど面白いのに、
そうしたあまりの大きな期待に添えなかっただけのこと。
作品としてはかなり魅力手的ですぱらしい。
しばらく立って見直したけど、いい映画だ。
そしてやはり遺作の予感に満ちている。
黒沢は映画史でも偉大なる例外。
これと比べると後は凡人になってしまう。
このレオーネにしても、焼き直しのパクリだが、
今ならリメイクという分野で認知され許されるはずだ。
まず、それで言えば、「荒野の用心棒」くらい出来のいいリメイクはない。
「荒野の七人」「ラストマン・スタンディング」なんかよりもずっとわくわくさせる。
そしてマカロニ・ウエスタンというジャンルを産みだしことも忘れてはならない。
クリントもこういうのは因縁のようだ。
どうしてもこの「荒野の用心棒」は大きい。
これによってクリント・イーストウッドというスターが登場したわけだし、
それ以降でいえば
あのドン・シーゲル監督の「ダーティ・ハリー」。
スコープから写し出される遠くのプールで泳ぐ女性。
それが屋上のプールで、さらに上から男が狙撃するという
サンフランシスコの都市空間を特徴的に表現したショットはお見事ではないか。
ホッドッグをかじりながら通りの銀行強盗を打ち倒す
偶像的なヒーロー、ハリー。
それと対峙する異常者アンディ・ロビンソンがいい。
この映画で有名になったマグナムを見て、あらま、おっきい、という。
さすが父上がエドワード・G・ロビンソンだけのことはある印象深い犯罪者役。
スクールバスをジャックし、子供達を脅かして歌を歌わせるシーンはリアルなおかし味があった。
しかもかなりの卑劣卑怯ぶりは悪役史に深く記憶されるはずだ。
一体どっちが主人公なのだと思わせる。
おそらくクリントがシーゲルやレオーネにあっていなかったらあれほどの監督にはなれなかったろう。
「硫黄島からの手紙」はよく出来ていた。
けっして日本人には描けなかった戦争映画だ。
この本を読むと、ただのスターではなく、
黒沢同様に一生懸命に「映画」を探すクリントがよくわかる。
「マディソン郡の橋」にしてもなかなか
わたしはハリソン・フォードで観たい気もするけど。
2010年6月4日金曜日
新訳版「罪と罰」
名作とか古典の新訳が数年前から盛んに行われていたが、
こうした機会は、
すこし読まれなくなった古典に光をあててくれる。
今さら「罪と罰」でも…という気分を
あらためてくれるわけだ。
読んだのは,マンガ。
手塚治虫のだ。
それですっかり読んだ気になってしまう。
ずいぶん後で、ラスコーリニコフは金貸し婆を
殺してからどうなったっけと思って
また読んだのが、大嶋弓子の、やっぱりマンガ。
さすがに少女マンガ家で
ソーニャの存在感は手塚版にない繊細さだとおもった。
さすがに二人とも作家である。
しかしそれでもその原作
ドストエフスキーには負ける。
読んでいてこのおもしろさはやはりすごい。
黒澤明が愛読した作家だけあり、じつに映画的でもある。
たしかに古典はいつ読んでも新しいのだが、
それがあたらしい訳なら読みやすさはある。
これならは亀山郁夫訳の「カラマーゾフの兄弟」を
もう一回読み直してもいいとも思った。
ぜひともディケンズもやってもらいたい。
こうした機会は、
すこし読まれなくなった古典に光をあててくれる。
今さら「罪と罰」でも…という気分を
あらためてくれるわけだ。
読んだのは,マンガ。
手塚治虫のだ。
それですっかり読んだ気になってしまう。
ずいぶん後で、ラスコーリニコフは金貸し婆を
殺してからどうなったっけと思って
また読んだのが、大嶋弓子の、やっぱりマンガ。
さすがに少女マンガ家で
ソーニャの存在感は手塚版にない繊細さだとおもった。
さすがに二人とも作家である。
しかしそれでもその原作
ドストエフスキーには負ける。
読んでいてこのおもしろさはやはりすごい。
黒澤明が愛読した作家だけあり、じつに映画的でもある。
たしかに古典はいつ読んでも新しいのだが、
それがあたらしい訳なら読みやすさはある。
これならは亀山郁夫訳の「カラマーゾフの兄弟」を
もう一回読み直してもいいとも思った。
ぜひともディケンズもやってもらいたい。
2010年5月16日日曜日
「犬の人生」マーク・ストランド
どんな内容なの?
きかれて答えるのは難しいが、
例えば、
就寝前の連れ添った夫婦が
ベッドにいる。
主人の方が耐えられずに告白しようと、悩む
妻の方は、言いたくなければいいのよと、
先きをきくのを恐れるが、
その告白が自分が犬だったと話すところから、
一気に怪しくなる。
訳者の村上春樹は、散文と解説していたが、
どれも面白い散文集。
近頃、「新参者」という
なかなか面白く放映時間を限定したドラマを見て、
別なことを思った。
この原作を読むつもりはないけど
ひょっとしたら、意識せずともドラマを想定しての原作が
既にあるのかと思った。
ならば、ドラマ化とか映像化できない
小説や文学の魅力もよりはっきり
意識されるのかもしれない。
その点からストランドの散文は、ちょっと
知的な実験的な映像作品のようだ。
きかれて答えるのは難しいが、
例えば、
就寝前の連れ添った夫婦が
ベッドにいる。
主人の方が耐えられずに告白しようと、悩む
妻の方は、言いたくなければいいのよと、
先きをきくのを恐れるが、
その告白が自分が犬だったと話すところから、
一気に怪しくなる。
訳者の村上春樹は、散文と解説していたが、
どれも面白い散文集。
近頃、「新参者」という
なかなか面白く放映時間を限定したドラマを見て、
別なことを思った。
この原作を読むつもりはないけど
ひょっとしたら、意識せずともドラマを想定しての原作が
既にあるのかと思った。
ならば、ドラマ化とか映像化できない
小説や文学の魅力もよりはっきり
意識されるのかもしれない。
その点からストランドの散文は、ちょっと
知的な実験的な映像作品のようだ。
2010年5月15日土曜日
本の虫干し-堀辰雄
日本文学全集26、堀辰雄の書籍は随分昔
いただいた物で読む機会のないまま取りおかれていた。
よりによってどうしてこの本を
選んでくださったのか…
読み始め、堀の文章に触れるうち思い出した。
「浄瑠璃寺の春」
という随想が好きだったからにちがいない。
それ以外に知らなかった作家だが、
「菜穂子」「幼年時代」は往年の木下恵介とか
松竹あたりの映画を思わせる楽しさがある。
それは非アメリカ映画で
ストーリー展開の巧みさでみせるのとは
違った独特のモノクロ作品のあれだ。
堀辰雄の小説には、その場面に
無花果や楡の木が描かれるが、
まるで人生というのは樹木と共に
記憶されるべきだと言うようだ。
いただいた物で読む機会のないまま取りおかれていた。
よりによってどうしてこの本を
選んでくださったのか…
読み始め、堀の文章に触れるうち思い出した。
「浄瑠璃寺の春」
という随想が好きだったからにちがいない。
それ以外に知らなかった作家だが、
「菜穂子」「幼年時代」は往年の木下恵介とか
松竹あたりの映画を思わせる楽しさがある。
それは非アメリカ映画で
ストーリー展開の巧みさでみせるのとは
違った独特のモノクロ作品のあれだ。
堀辰雄の小説には、その場面に
無花果や楡の木が描かれるが、
まるで人生というのは樹木と共に
記憶されるべきだと言うようだ。
2010年4月4日日曜日
バリッコ版の「イリアス」
盲目の語り手ホメロスの「イリアス」
をアレッサンドロ・バリッコがリライトした。
まず、ギリシャ神話にあるゼウスたち神が
人間に介入するパートを削る。
そして、重複を縮め、
この省略されているのは、
こうであろうなという追加がされている。
そのため読みやすくなっている。
どことなく、ブラット・ピットが演じたアキレウスの「トロイ」
が思い出される。
しかしあのハリウッド映画にないのは、
集団での戦闘がどのようなスタイルだったのか、
の殺戮シーンに仮説がないことだ。
なるほど、それはバリッコ版でも、
ほぼ十年の間戦闘の日々を繰り返し、
日々は、ひょっとしたらと、幾つもの想像が入り込む。
倒した名のある兵士たちは、武器をはぎ取られ敵側へのみせしめとなる。
いかに、神の庇護受けているか、無数の兵士を鼓舞する。
だいたいそうしないと、
どこでどうなっているのか
戦場の全貌はまるっきりわからないじゃないかと思う。
たしかにホメロスの煉瓦で積み上げたが、
戦争の現代的な問いかけになっている。
をアレッサンドロ・バリッコがリライトした。
まず、ギリシャ神話にあるゼウスたち神が
人間に介入するパートを削る。
そして、重複を縮め、
この省略されているのは、
こうであろうなという追加がされている。
そのため読みやすくなっている。
どことなく、ブラット・ピットが演じたアキレウスの「トロイ」
が思い出される。
しかしあのハリウッド映画にないのは、
集団での戦闘がどのようなスタイルだったのか、
の殺戮シーンに仮説がないことだ。
なるほど、それはバリッコ版でも、
ほぼ十年の間戦闘の日々を繰り返し、
日々は、ひょっとしたらと、幾つもの想像が入り込む。
倒した名のある兵士たちは、武器をはぎ取られ敵側へのみせしめとなる。
いかに、神の庇護受けているか、無数の兵士を鼓舞する。
だいたいそうしないと、
どこでどうなっているのか
戦場の全貌はまるっきりわからないじゃないかと思う。
たしかにホメロスの煉瓦で積み上げたが、
戦争の現代的な問いかけになっている。
2010年4月3日土曜日
デ・ラ・メア物語集
「九つの銅貨」という物語集を読んで以来、
作者のウォーター・デ・ラ・メアは感心する作家の一人だ。
たまたま児童書にシリーズとして
三冊刊行されているのを知った。
読んでみたが、違和感。
訳文だから仕方がないが、たぶん
少し違うんじゃないか、ということだけはわかる。
この作家は一つの文章と一つの文章の間の
行間に何かを出現させようとすると思う。
その無精という柱、のある者に寄って
間のない部分を感じさせてくれる。
まずそういうことだと思って
訳してもらわないと、ひどく読みにくい。
たぶん子供向けの、
まあ、それは「九つの銅貨」もそれだから
いいんだけど、それも声に出して読ませるテキストの
ようだ。
そのあたりのもどかしさがある。
作者のウォーター・デ・ラ・メアは感心する作家の一人だ。
たまたま児童書にシリーズとして
三冊刊行されているのを知った。
読んでみたが、違和感。
訳文だから仕方がないが、たぶん
少し違うんじゃないか、ということだけはわかる。
この作家は一つの文章と一つの文章の間の
行間に何かを出現させようとすると思う。
その無精という柱、のある者に寄って
間のない部分を感じさせてくれる。
まずそういうことだと思って
訳してもらわないと、ひどく読みにくい。
たぶん子供向けの、
まあ、それは「九つの銅貨」もそれだから
いいんだけど、それも声に出して読ませるテキストの
ようだ。
そのあたりのもどかしさがある。
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