2009年4月30日木曜日

近所のよしみ中勘助の「銀の匙」をようやく読む



「銀の匙」の作者、中勘助は、上京していとき
今住んでいるすぐ近くに住んでいた。
夏目漱石もこの小説に感心している。
だから読まない理由はないのだが、
いつもだが独特の世界観のあるものは、
読み始めが難しい。

この本、5年くらい置いてあった。

うまくはいれれば一気に読み勧めるが、
そうでないとしばらく中断する。
今回はこの小説はうまく入れた。

進むうちに、この幼少の感覚は谷内六郎のようだ。
同じような深みから来ている空気が感じられる。

おばさんの背中から見た幼少世界は
ついさっき見たような気分ではないか。

2009年4月20日月曜日

古典とモダンの間-モランディ

毎年10年ほどボローニャへ行く機会があったので、
たぶん人よりモランディを見ている。

毎年見ていたが、このほとんど静物しか描かない
絵が好きになったのはその一番最後だった。

やはりどこかずっと気になっていたのだろう。
フェリーニは映画にまで彼の絵を出して賞賛している。

ボローニャでほぼその生涯を終えたこともあり、
市庁舎には、一般のコレクション絵画コーナーから
ついに
モランディだけの美術館もできた。

やはり街の中にあるアトリエから
この画家が使っていたも静物のモチーフも移設され
観ることが出来る。



しかしこんな程度で収まってしまうのがすごい。
人間のモデルもほとんど使わないし、瓶とか陶器とかを
繰り返し繰り返し絵に描いた。

この足なしのテーブルはモランディ自身が作ったのだとか。

奇妙な祭壇であり、彼にとっては宇宙だったんだろう。





それにしてもベン・ニコルソンが好きだったのに
モランディは、ずっと退屈な静物画家だと、
どうして思い込んでいたんだろう。

ボローニャで観ると、聖人の宗教画にもみえるし、
他とは変わった抽象画に感じられ、
過去と未来の架け橋にモランディがいる。

ほんとうに、静物画じゃない。

生きていたり、動いていたり…


最近手に取った

「ジョルジョ・モランディ 静謐の画家と激動の時代」
ジャネット・アブラモヴィッチ著。バベルプレス刊。

によれば、

ボローニャ近郊のグリツィアーナに別荘があるが、
ナチス進行で、押し入られたらしいが彼の絵は欲しがられなかったと
モランディが語っていたそうだ。


作者はかってモランディの生徒だという。

2009年4月18日土曜日

モーパッサン短編集

懐かしさに魅かれて文庫本を手に取る。

「紐」は大昔…たしか教科書にあったような記憶…。

「ピエロ」が秀逸。
まるで短編フィルムのよう。

田舎風の未亡人の顔までありありと見えてくる。
話も面白い。

このやや見栄っ張りでケチな未亡人の家に
盗人が入り、女中が不用心だから、
犬を飼った方がいい、と助言。

未亡人が気になるのは、泥棒よけの犬の食費。
パン屋から、かねてより手放したがっている
子犬を貰い受けるが、これが飯の時しか吠えない。

吠えるよりも甲高くきゃんきゃん鳴く。

そのうち情がわくが、税金がかかると知るに及んで、
とんでもないと、大慌て。

近くの坑道の穴に捨てるが、その夜から後悔に苛まれる。
穴に声をかければ、可愛い犬の声。

穴掘り人夫に頼むが、費用を聞くと腹を立てる。
ご飯を与えればいいと女中。

パンにバターをつけて穴に放り込むが、もう一匹明らかに
大きな犬が放り込まれている。

因果を含め、オマエのパンダと投げるが、声の様子では
ピエロのパンはもう一一匹に喰われ、情けない声で吠える。

悲しいやら情けないやらの未亡人だが、
他所の犬を養うつもりまでない怒りをぶちまけ、
なき女中と帰るという話だ。


キ・ド・モーパッサンは、この前に呼んだ「ボヴァリー夫人」のフローベール
の親戚とかで、師事したとある。

もっぱら、お金がいる為に、新聞に短編を載せたという。

2009年4月12日日曜日

映画は大学で講義する時代-「黒澤明を観る」


いつのまにか時代というものは変わるものだけど、
あらためて
意識したのが、この「黒澤明を観る」。

そうですよ、最近は本を読む学生も減っているが、
映画も似たようなもの。

流行で観るから、なかなかいい作品には出会わない。
しかも
生まれて百年ちょっとの映画は、
新しいものを見る、
ものだと考える若者も多い。

「古典」の概念はまだまだない。

逆に、黒沢映画を賞賛する保守は、
能書き好き。

これじゃ溝は埋まらない。
確かに黒沢映画は、講義にも足りる。

批評よりも、若者達の感想に、あたらしいものの見方もうかがる。

映像は撮るものではなく、創るものだが、

今ではCGのことしか言わないと思うものばかり。

だから「宇宙戦争」はつまらない。
あれが「未知との遭遇」を創った同じ監督の作品だろうか?

印象深い、映像と迫力の作り方を
現代の監督はすっかり忘れてしまっている。

漫画も大学に入ったのなら、黒沢も必修になってしかるべきだ。

2009年4月4日土曜日

「エル・ブリの一日」



この大判の分厚い本を紹介するのは難しい。
まるで一本の上質な映画を見るようだ。

これはスペイン、バルセロナからさらに
先きにある風光明媚な場所にあるレストランの
一日をドキュメントした本。

風光明媚とは逆に、
一元の旅行客には容易に
行けぬ場所。

しかもこの店「エル・ブリ」は約半年ほど
一日一回転しかしない。
スタッフは来客人数よりも多い。

つまり、通常の店舗ではない。
なんどか世界のレストランのチャンピオンになった店。
メニューがなく創作料理のみ。

それが実に刺激的なのだ。
わたしは、世界の中で日本料理は,特異な位置を占めていると思っている。
理由は、あれほどつまり、西洋料理や中華のように油を使わない
料理はないと思うからだ。

かならずしも、料理の仕方が火力ではない。
こうしたところにも、豊かな幅広い食卓を構成する
原因がある。

このエル・ブリは、新たな料理法をつくることの為に
店とい一応の形状を構成しているが、その
料理の仕方の活路を全く異なった方面から
握っている。

しかし料理の本ではない。
好奇心の本なのだと思う。

創造性とは模倣しないこと。

このエル・ブリのボス、フェラン・アドリアは
それによって料理の師や伝統と決別し、創作世界にのめり込んで行く。

しかし大抵の店が、創作の看板を掲げ、数年の賞味期限であるなか、
彼は学校とは違い、多くの学び成長しようとする者たちと
このエル・ブリを運営する。

店でも学校でもない、最先端の場所は刺激的だ。