2010年8月29日日曜日

「王になろうとした男 ジョン・ヒューストン」

この自伝はいかにもジョン・ヒューストンらしい。
このアメリカの監督は、巨匠だろうか? 名匠だろうか?

巨匠はワイラーだし、名匠はジョン・フォード
の方が相応しい。

いつもジョン・ヒューストンをどう評価していいかわからない。
すごくいい作品もあるが、それを覆すものもある。

この人ちゃんと撮っているんだろうか…
どこかそんな気がするからだ。

この本を読んでなるほどそうかと思った。
自分で勝手に設計して建てた家に、フランク・ロイド・ライトが見物に来て
あれこれと褒めるのかけなすかわからないような
コメントを述べて行ったそうだ。

なかでも「どうしてこんなに天井を高くするんだ。低い方が落ち着く。」
と言われ、背の高い我身の身長に合わせたと解説したとか。

そのユニークなセンスに、もし自伝映画を撮る機会があれば
ヒューストンを希望するという遺言に残したとか。

ヘミングウェイとの交流からも、
ヘミングウェイよりもヘミングウェイらしさのあったヒューストン。

最晩年、黒澤明の「影武者」を絶賛し、
「ビリー・ワイルダーならどうする」の中には、
黒澤、ビリー、ヒューストンがアカデミー賞授賞式で
の三人が一緒になった写真がある。

車いすで「ザ・デッド」を監督したが、これはまだ見ていない。

2010年8月28日土曜日

「1Q84 BOOK3」

なるほど、と想える村上春樹の第三巻

感心するのは、ヒロインの青豆が妊娠していたという設定。
実に見事な小説的なアィディアだ。

ほぼ1年前に読んだ前の二冊だが…


天吾、青豆、牛河の三節で進むストーリー
それが半分くらいまで引きこもっているのも
なんとも現代的だ。


牛河を入れて青豆、天吾の3つの章構成事態がサスペンス的だ。
わざわざ何かを持ちこまずとも時間的な誤差や目撃がサスペンスとなっている。
小説の半分ほど、
それぞれの引きこもり状態の意識と静的な細かさが後半の効果をあげている。

宮部みゆきや東野圭吾がこういうのを書くとどうなるんだろう?
たぶん、そのミステリーとかサスペンスの型に入ったものになるんだろう。
こういう現代作家の小説を読まないのは、そこに理由がありそうだ。


この少し離れた三巻めでは、牛河が探偵として登場。
村上のキャラでは、特にユニークな牛河。
「ねじまき鳥クロニクル」での牛河の新鮮さはインパクトがあった。

個人的には、某政治家の秘書で、マッチポンプ的な悪党人物と
大変よく似ている。

いいかどうか別にして
今回は1/3を占めることもあり、少し読み手と
親しくなった気がしないではない。

2010年8月1日日曜日

タルコフスキー日記

人の日記に興味がある。

自分の日記は、パソコンに入力するようになってから、ほとんど出来事のメモも程度になった。
相変わらず、夢の日記もつけている。

手描きの時にはずいぶんとだらだら書いていたり、いったい
日記とは
どのように書くべきか、模範的なものを知らない。

タルコフスキーの日記はタルコフスキー的だ。

かなり多くの本の印象に残ったセンテンスの引用がされているのに驚く。
なにしろ最初から、

吉田兼好の徒然草のあれ、から始まる。

それとロシア、いやこの頃はソ連か
映画協会のグチ…、かなり嫌われていたのは、やはり天才だからだろう。

その嫉妬攻撃がすごい。
しかし日記にその様が残されているのもなにやら自伝的。

ベルイマンが好きだったとは以外だが、タルコフスキーは映像を
夢のように撮れるあたりに関心があったのだろう。

フェリーニの「8 1/2」、「野いちご」…

遺作の「サクリファイス」
スヴェン・ニクヴィストに満足せず、
ずいぶん自分でカメラワークを決めたとある。

「ぼくの村は戦場だった」の海岸を走る二人の子供のショット
「ルブリョフ」の教会まで鐘を運ぶ俯瞰撮影など
それだけで名画となり得ている。

それからすれば、不満も仕方なしか。