この輪廻転成することから手塚治虫の「火の鳥」に似ていると
述べる輩がいたが
生々流転をダイナミックに描く漫画とはでまるで違う。
三島手塚いずれも育ちはいいがこれは、三島由紀夫の近代王朝文学。
三島は建築的文体の巧みさで伽藍の虚空を描くが如くの力量で
書きすぎてはいないし、構成がしっかりとして実に見事。
わざわざ使ってもない漢字の数々、辞典引き読書だけども、
その効果は確実に古の空間に光を導き深い陰影をもたらしている。
主人公、清顕の家の伝来の儀式が印象深く、これがこの四編物語の象徴の一つ。
八月十七日の夜、
盥に張られた水に月が映るかどうかで占われる松枝家のしきたり。
「清顕には、それが露芝の上の裸の魂形ののやうに思われた。
その盥の縁のうちから彼の内面がひらけ、縁の外側からは外面が…。
凝固したかのようなあいまいな闇が破れて小さな明らかな満月が、
正しく水の中央に宿った。」
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それに続く「奔馬」。
前編の清顕とこの勲は、弱と強の双子か、だから輪廻転成したのか…
わからないが、飯沼勲は三島少年のあるべき理想像に近ひ。
これも作者の分身。それもしかたないことか。
その分身だが、先の四編め「天人五衰」、ここで転成した透とは、
邪と狂気の兄弟。あるいは陰陽に思われるが、美しいグロテクスで
清く正しい狂気でもあろう。
勲の少年のような童貞的純粋さで膨らむ妄想的大和魂が決起する先は、
金銭欲に腐敗した財界人へ。
汚れなき刃でのテロリズムが成功するのか…
その展開に急ぎ心騒ぐのは、
この時代に生きれなかったのが悔やまれた三島由起夫の見事な腕だろう。
とても面白く読める。
禅について云えと言われても困るが、卑怯についてなら云える気がする。
その卑怯を嫌悪、いや
憎悪する少年期の、冷たく光る刃の輝きがあった少年期のことを
思いだしてしまう。