荷風が下町を歩いたのは、東京だからだ。
たぶん、今の緊急事態で人の少ない東京の街は過去の面影を蘇らすのに
かえっていい機会かもしれない。
それにしても
まさか己が永遠の翁爺、永井荷風を読む。東京散策を好む者に成り果てる、
とは信ぜられぬ。人生何が起こるかわかったものではない。
「今日東京市中の散歩は私の身に取っては生れてから今日に至る過去、
生涯に対する追憶の道を辿るに外ならない。」
散歩の王者の「失われた東京」への想いだ。
都市の生活空間の変貌ぶりが愉快に感じたのは、永井荷風が山の手住まいに原因があろう。己が尾道いるのと同じく離れる歳月が長くなるほど懐かしさの幻想、面影故である。
記憶が蘇ったり新発見がある。
案外起伏の多い街はその視覚上下動はあらがえない魅力でもある。
お茶の水のサイカチ坂、昌平坂、その名称だけで風景が見えてくる。
アメリカ、フランスでの遊学から帰国後、大正のはじめに書かれ、ここでも
すでに東京は失われているという「日和下駄」を読むと、
あきらかに時代を隔ているのに想いの力で蘇る記憶がおもしろい。
相撲中継にわずか映る国技館の様、両国駅の旧駅、別の世界。
まるであすこにいた時代とは異なる街だ。
安田庭園も見えず江戸東京博物館、スカイツリー、更に高層ビルが目立つ。
餡バターパンの狭いパン屋、まだ都電が行き交う広々さの路面。
古本屋目当てに歩く石原町。
多分歩くと嘆きも多かろうが細部に記憶が蘇る。
二度目の五輪前の首都工事の光景に仰天した…か、いや
永井が生きて嬉々として歩き愉しんだろう。
明治維新以後、急激な近代化の道を歩まなければならなかった東京、
次々に古いものを壊わし、新しいものを作らねばなかった
失われる為の首都は、徹底的に不思議さに満ちている。
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すっかりBlogにログインできるようになったので下書きのままも更新。
永井荷風「断腸亭日乗」読み終える。
やはり敗戦辺りが面白いなあ。彼の住まい偏奇館が空襲で焼ける。
あの年で蔵書やらを失うのはかなりの大変だろう。
だが、ほとんど東京中がだったから失念している暇さえもない。
帰る家もなく知人宅へ、そこから岡山に行くものの、
そこでも空襲に遭うが、運の強さに驚く。
いや、疎開してでは…運がいいのか悪いのか、まあいいのだろう。
しかも彼は結構な長生きだ。
ふと、年表を拝見すると、永井荷風は若い頃から年寄りイメージ、
いやいや、そうではない。
それを目標に生きているおかしな人だ。
見習いたいものだ。
後日「ディリリとパリの時間旅行」を愉しく観た。
これは監督のミッシェル・オスロの幻想するこうであったらいいという巴里ガイドだ。
パリがパリとして咲いたベルエポックの時代。
世界で一番美しい街のパリだ。
これならだれでも風景画、風俗画を描きたくなるはずだろう。
芸術家たちの面影が生きる街は縦もが特に綺麗だ。
おそらく訪れても観光の今のパリにはない。
永井荷風が描いた「失われた東京」とはこれに近い感覚なのだろう。
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