2011年4月26日火曜日

「青べか物語」山本周五郎

山本周五郎に勢いがついた。

この実在する浦安(この小説では「浦糟」となっている)を舞台にした話を読んで、
長年の思いが解けた。

大昔の知り合いだった森田老人のことだ。
彼の人生観というほど大げさではないが、
なんだか東京の人とは直感的に異なる土着性がずっと心に残っていた。

この本を読んで、その森田老人に再会した気分だった。

「青べか」は、ディネセンにとってのアフリカのキクユ族と同じように
山本周五郎を魅了する。

まるでマイケル・カコヤニスの「その男ゾルバ」にも似ている。

この浦安やアフリカ、クレタ島は、
近代化で一層された都会とは別の論理や規範で世界が構成されている。
別世界なのだ。

その土着性の強烈さは、まるで民俗学者の宮本常一の「忘れられた日本人」さえも思い出させる。





2011年4月17日日曜日

「ジャック・ロンドン放浪記」



最近、それもつい先月のことだが、
公開当時見損なった

ロバート・アルドリッチ監督の「北国の帝王」を見ることができた。
これが名作かどうかは知らないが、1930年代の大恐慌の時代、

ホーボーの名人
リー・マーヴィンが列車にタダ乗りするシンプルな話だ。
そして当然のことながらそういう輩を放り出す
鉄道側の車掌や制動手がいるわけだ。

それが鬼顔の悪役アーネスト・ボーグナイン。

この自伝を読んだら、
若造のジャック・ロンドンは映画そのまま。

ちょうどあの作品でナンバーワンに成ろうと誇りを賭けるホーボーと
その阻止に意地を賭ける制動手との間で、
ある意味一番、リアルな、
若者キース・キャラダインは、この映画での役回りを別にすれば
まるでジャック・ロンドンその人のように思えた。

39年の短い生涯で、ハワイでサーフィンしたり、日露戦争の派遣従軍記者となり、
日本に来たりと、一所に落ち着かない特異な作家だが、

その若い頃は、これまた凄まじい。



2011年4月13日水曜日

「一号線を北上せよ」沢木耕太郎


この作者の「深夜特急」に魅了された者からすれば、
こちらの本は旅の記録のようだ。

もちろん、それはそれでいいし、
北から南に長いベトナムの骨のような街道を北上する旅、
それはそれで面白い。

それでも…「深夜特急」とは、
なにが違うのか…と思う。

あれは「記録」をはみ出しているところだ。

読んでいて、今そこに旅が生まれるのを読者は立ち会い、目撃する。
ノンフィクションなのに、フィクションの架空の旅がある。

しかし旅の記憶が不思議なのは、入り交じってまた新たに立ち上がるところだ。

付録と呼ぶべきか…、

このベトナム街道の旅と
最近亡くなった高峰秀子と沢木耕太郎との対談が載っている。

2011年4月5日火曜日

ル・グウィン「ヴォイス」



ファンタジーものはよくわからない。
いや、というよりも苦手。

それを忘れかけた時々に、手にするたび
やはり良くわからないという見解が裏付けられてしまう。

そのなかにあって、ル・グウィンの「ゲド戦記」は面白い。
特に「こわれた腕輪」はよくできている。

比べてはならぬが、どうしても比べる。

さて、これは「西のはての年代記」の二作目。

ふたつめから読み始めたのは、侵略を受けたアンサルの隠し図書館から始まること。

その侵略者、オルド人が本を魔物と恐れている。

「華氏451」とか「炎のアンダルシア」…、最近だと
「アレキサンドリア」など、焚書と本を守ろうとする話があるけど、
どういう訳か魅かれてしまう。

焼く方か、隠す方か、ちょっとわからないのだけども…。

2011年4月1日金曜日

「王のパティシェ」ストレールが語るお菓子の歴史



パリにある1737年創業のお菓子の店、ストレール。
その創業者にニコラ・ストレールが82歳の晩年に記した日記だ。

14歳のとき王位を追われたポーランドの大公の厨房で働くこととなったが、
このスタニスワム大公が実に大変なる食道楽。

しかも自らの思いつきを実行させる。

モンテーニュ曰く、食道楽など七つ大罪のひとつ
と教えられていた時代、そんな大公に気に入られたおかげで
それは罪ではないと教えられた記す。

この日記が、ちょっとパトリス・ルコントが撮っても良さそうな映画みたいだ。
そう感覚的な、アメリカ的じゃないフランス映画だ。

レシピの日誌なのにやはりフランス人がやるとこうなるのか、とも感心。