2020年5月4日月曜日

志賀と三島-三島由紀夫の「文章読本」

全集にある三島由紀夫の「文章読本」を読んで、志賀直哉を名人と認めながらも
「パルムの僧院」を読んだ志賀のあまりに作家的ではない
一般素人的発言を捉えている。

なるほど。そうだ。

志賀は得難い書き手でありながらも、すなわち良き読み手とは云いがたい。
それは映画鑑賞眼にも言える。
幼少からの映画好きなのにまるで素人以下だと感じたのは、
伊丹十三監督の「赤西蠣太」。

黒澤明の「羅生門」は認める節があるのだけど、
あの名作には不満を隠さない。
己の原作との相違に気が散るのはわからなくもないが…作家的意見ではないし
どう公平に見ても、この人映画わかっているのかしらと
首を傾げてしまう。

三島のこの精確な見解が、ぼんやりしていた志賀人物を知る上で合点したのだ。
やはりこの方、小説でありながら生業とは分離した人だ。
まあ、その点では三島も似ているが、その三島は「暗夜行路」についても。

これほど官能的な小説は世界でも珍しいが、「源氏物語」、「好色一代男」の
日本的伝統でもあると言う事を記している。

あの
おっぱいを豊作だと祭りのごとく叫ぶ時任健作の話は、
かなり年上の女中との縁談とか、なんか始終女の話ばかりの長編だ。

あれは、何度読んでも志賀的でないような…
へんな小説ではないかと思っている。
なのにあれは短編の名手にとっての唯一の長編小説でもある。
しかも
これに費やした志賀直哉の歳月、その執念深さにも感服してしまう。
全集を読むと手を替え品を替え何度も書き直ししているのがわかるんだけど、
こうなるとどれがいいのか、読んでいる方だってわからないなと感じる。

そんな凄まじさの一方、職業的ではやれぬ証でもあろう。


さすがにこの「文章読本」を読むと、
三島は多種多様なものを読み込んでいる。
そう言えば、こっちはあのルキノ・ヴィスコンティの映画
「地獄に堕ちた勇者ども」を絶賛していな。

映画パンフレットの宣伝に出ていたのを思い出した。
それも三島らしい映画が好きなのだろう。

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