2009年12月28日月曜日

村上春樹はシュールレアリズム。




編集に寄って作品のイメージは大きく変わる。
ニューヨーク版の短編編集
「めくらやなぎと眠る女」で新たに読むとよくわかるかもしれない。

村上春樹は、シュールレアリズムなジャンルを確立した作家だ。
それにこの装丁、その感じがよくわかる。
新しいパッケージで読むと、また違った印象が感じられる。

2009年12月19日土曜日

「愛人ラマン」



「愛人ラマン」は、映画先だったために
読む機会がなかなかなかった。

これはすごい小説。
デュラスは映画のような小説を書いた。

そういう意味では先きに原作を読んでいたら映画を見る必要はなかった。

誰かに似ている。この作者の少女時代の写真。
そうか…

トルーマン・カポーティ。

少年時代天使のような子が、晩年は悪魔みたいな容貌。
それはマルグリット・デュラスとよく似ている。

似た者同士だ。

2009年12月12日土曜日

「モンテ・フェルモの丘の家」

イタリアの女流作家ナタリア・ギンズブルグの小説。
それを訳したのは、須賀敦子。

翻訳的障害などまるで感じないほどの
文体は、どっちの小説なのかと思えるほど。

ここに描かれるのは、すべて手紙形式から伺える人々の
人間関係やそこに生まれる錯覚的な愛や出産、
引っ越しや友人のことなどが見事に心理的に描写されている。

小説よりも、印象は映画に近い。

それも「湖のほとりで」とか、「息子の部屋」のような
筋をのぞいた人物描写の撮影だ。
映像と違うのは、
手紙の描き手との距離や温度が伺えることかもしれない。

最初のとっかかりが難しいかもしれない。
なぜなら、いきなり
手紙なのだ。
手かがりに困難するが、まずかまわず読んで行けばいい。
すぐにはっきりと人物像や部屋が浮かび上がってくる。

マンゾーニを書いたナタリアの作品も
もう一度挑戦してみようかと思う。

2009年12月6日日曜日

「ガルシア・マルケスひとつの話」


「ガルシア・マルケスひとつ話」。
この本は、前の「百年の孤独」を同時並行的に読んでみました。

「百年の孤独」と作者の熱烈なファンが作ったマニア本。
村上春樹の謎解き本みたいなものではなく、
ファンであるところがいいですね。理屈がないですからね。

さて、これで黒沢明にガルシア・マルケスの話が
時々でてくる理由がよくわかりました。
どうやら
このノーベル賞作家が黒沢映画大好き。
自作の「族長の秋」をなんとか映像化して欲しいと
対談したそうです。

企画は黒沢が他界してしまい、消えてしまったけどマルケスの息子
ロドリゴ・ガルシアが映画監督になりました。

「彼女をみればわかること」はなかなかしゃれた作品でした。

2009年12月1日火曜日

「百年の孤独」



マルケスの影響を受けたイザベル・アジェンデの「精霊たちの家」
のあとに本家を読んでみました。

20ページまではすごく面白い物語。
その後430ページは
読む必要があるのかと、も思いました。
もちろんだからダメとかそういうのではありません。

読む本もあれば、置いておく本もあります。
この「百年の孤独」は後者に近い。

さてこの改訂版のレメディオス・バロの絵画の表紙は
この読み物の書物として素晴らしい意匠になってます。

 ぜひとも所蔵すべき物語ではないかと思います。