2009年1月16日金曜日

ビネッテの黒い線



ビネッテ・シュレーダーはドイツの魔女の肌合いを持つ雰囲気の絵を描くアーティスト。
それがエンデと組んでの本では魅力的なコラボをしている。

ミヒャエル・エンデも「モモ」では素晴らしい挿絵を描いてる。
察するに
自分で苦労して紡ぎ出した物語の挿絵を
他人に任せたくはなかったのだろう。

この本を見ると、あるいはビネッテにまかせもよかったかもしれない、

また、エンデ板とは違った「モモ」になったのでは…
と思いめぐらす楽しみがある。

2009年1月15日木曜日

アッシジに行きたくなる「聖人と悪魔」



イギリス人の作家メアリ・ホフマンによる
アッシジを舞台とした中世修道院世界のストーリー。
展開以上にこの作品を支えているのは、
修道院が教会の写本やフレスコ画制作の為に
顔料師を養成していたことだ。

これまで…少なくも私にとってはという意味だが、
この教会を彩る壁画用の色を様々な石から取り出す
技能を持つ顔料師の登場は新鮮だ。

それともう一つ。
架空の修道院で起こる連続殺人事件と平行し
サンフランチェスコ教会の聖堂、下堂の壁画、
これを担当したシエナ派のシモーネ・マルティーニと
ピエトロ・ロレンツェッティの実在した画家の登場である。

ウンベルト・エーコの「薔薇の名前」がそうだったように
映画にしたらいいなと思うと感じるのは
私だけではないと思う。

2009年1月13日火曜日

古典はハイビジョン映像-「ボヴァリー夫人」



旅行する際の本として持参したのは、
この小説が適当かどうかよりも、たまたま手に取ったリョサ・バルガスの
若き小説家に向けての勧める文学の中に、
フローベールの「ボヴァリー夫人」があったという縁だ。

その時まで南アフリカへの旅行の際には
島崎の「破戒」を同行させようと考えていた。

古典のおもしろを知りながらも、
容易に読めないジレンマもある。

それだけの集中力を要するからだ。

しかし時々現代小説やそれに類するジャーナルを読んでいる自分が
「本の消費者」ではないかと感じる場面もある。

このフローベールの小説。
そのストーリーは、われわれの人生がそうであるようにありふれている。

しかし読んでいくうちの物語として自分の中で派生する印象は
鮮明な一つの自性体験でもある。
それが現代小説と如何に異なるのか…
その鮮明さ、リアリティという解像度がちがう。

そしてその強さからしか学べないものが確実にある。

2009年1月12日月曜日

アンリ・カルティエ・ブレッソン「こころの眼」


2年ほど前、ブレッソンの記録映画を見た。
映画も興味深かったが

それ以上に、
その上映した渋谷の坂に面したミニシアターが印象的だった。

まるで四角い箱。
それ自体の空間がカメラの箱、カメラオブスキュラーのようだった。

上映される映画以上の強烈な印象だったのは、
そちらの内容をほとんど覚えていないからだ。

この伝説的なカメラマンが
暗室仕事をしない、撮影だけだということを知った。

しかし写真を見れば
やはりそうだろうとも思う。

どうしこんな写真が撮れたんだろう…
と思うものばかりだからだ。

2009年1月4日日曜日

素材はいいんだけど…



これは映画の方が面白い可能性がある。

小説は、
「大人」である難民としてドイツから
亡命してきた両親の部分が多い。

期待していたのは、娘である少女レギーナから
観た未知の大地のこと。

   ここが最大の話だと思う。

遠景に、ナチスからの迫害やナイロビにおける
白人同士の民族的アイディンティティがあればいい。

これではただのノンフィクション。
この程度で様々な賞を取ったといわれると
読者は逃げる。

映画の方はどうなんだろう…
少なくとも
この本の表紙にある通り、良さそうに感じられる。

2008年12月24日水曜日

お金のイメージ「ハーメルンの死の舞踏」




作者のミヒャエル・エンデ。
個人的にあまたの作家より親しみを感じるのは、著者と誕生日が同じだからだ。
いや、内容も素晴らしい。
戯曲として描かれている「ハーメルンの死の舞踏」だが、
最大の魅力は、お金が表現されていることだ。

地上のあらゆる物質と交換でき、時には
生み出した人間達の精神や誇りまでも破壊する力を持つ。

ある意味では魔法。

エンデは、それを象徴的意味を込める。

繁栄した町の地下には、巨大なネズミ大王の魔像、
これがぐるりと一回転すると、金貨を一枚
尻からひねり出す。

その小金の輝きの不吉な影のように
同時に
ネズミが一匹生まれる。

欲と権力にからた者達によって、町はネズミだらけ。

このイメージはいったいなんだろう…
と考えていたが、
瀬戸内海にある小島、別子銅山を見た時に、エンデのこの作品と同じだと思った。

地下に埋蔵されている銅を採掘、それを精錬するが
掘り出せば掘り出すほど
周りは公害に見舞われる。


光があればそこに影があるように
聖と俗の忌まわしさが潜んでいることを作者は描く。
しかし
これほど明確なイメージで「お金」が表現された作品を私は知らない。