2013年7月25日木曜日

「色彩を持たない多崎つくると、彼の巡礼の年」


相変わらず面白い。

この作品の魅力のひとつは、
つくるが四人の親友たちから受ける突然の絶縁だ。

しかもそれが後になって当人の知らぬ事実ではないこと、
更にそうせざるを得なかった事情にある。

そうなった経緯も、その後に起こる悲劇も、小説にありがちな突飛さがなく、
あるかもしれないと感じられる点だ。

また作者は、どの作品もだけど作中の人物のつけ方が上手いのも特徴だろう。

今回は名付けの由来が語られているが、
「多崎つくる」の
幾何的にして鋭角なプリズムの形象をイメージさせる名前と、
光を受けて視認できる色彩と色温度が重なる人物の対比が面白い。

        色即是空。

  音楽的なところが素晴らしい。

2013年1月15日火曜日

日本人とアメリカ人が描くジョン万次郎

山本一力の「ジョン・マン」怒濤編、大洋編と、
「HEART OF SAMURAI ジョン万次郎 海を渡ったサムライ魂」マーギー・プロイスを読んだ。どっちもとても面白い。
(ニューベリー賞をとるだけあってよく描けている)

知っているようでちゃんと読んだことのない実在の人物だった。
それならついでにその前に書かれた井伏鱒二のも読んでみようかと思う。

あまりにも波瀾万丈な人生のため、誰が描いても面白い。

映画化するなら、ジェット・リーあたりが演じるだろうか…

先日、ハリウッド製の日本映画「SAYURI」を見るにつけ、チャン・ツィイー演じた芸者や、コン・リー、ミシェル・ヨーがなかなか面白かった。

だが、多分日本人としてはやはり気になる部分が邪魔をして作品に没頭できないのかもしれない。それにしても少女期を演じた大後寿々花がとてもいい。ちょっとあの感じで「千と千尋の神隠し」でもできそうだ。

この中浜万次郎の話も、少年期を誰が演じ、どう拵えるかで大きく変わりそうな気がする。

2012年11月9日金曜日

丸谷才一の小説「女ざかり」

なるほど。

こんな小説を描くのか、と思った。
では、丸谷才一がどんな小説を描くと思ったのか
期待したのかと問われたら、

       答えようがない。

こりゃあ、日本の小説では珍しい。小説のふりをしているところもありそうだ。

教養小説と言えば、そうなのだけど、
確かそうでディケンズが日本に来て描いているみたいな気もする。

吉永さそり、いや、さゆりで大林が映画化している…、

それは知らなかったし、見落としていた。
しかし、村上春樹の小説のように原作を映像にしてもおもしろくないだけだと思うけど。
機会があったら、確認してみたい。


2012年10月25日木曜日

「マルコヴァルドさんの四季」


とても面白い話。寓話的なカルヴィーノの現代的な短編。
「みどりの小鳥」も好きですが、こういう誰でも読めるおかしな話しがいい。
読むのは簡単ですけど、作るのは大変だと思います。

寝る前に布団の中で読むと、疲れもとれるでしょう。





2012年10月8日月曜日

萩尾望都対談集

1970年代の手塚治虫や小松左京など、ほとんど亡くなってしまった方々との対談集、
「マンガのあなたSFのわたし」。

それから、1980年代の、こちらも方も半分くらいお亡くなりの方だが、
「コトバのあなたマンガのわたし」を続けて二冊読む。

今年の刊行本だが、これくらい年月が過ぎると逆に新鮮。
対談相手との内容から、
萩尾望都という漫画家の特異な才能と魅力が見えてくる。

そんなことから
随分前に読んだ「百億の昼と千億の夜」を
読み直してみた。

少年漫画と少女マンガの中間領域が
この作家だけど、SFという要素も重なり合う。

再読すると、絵の見事さにあらためて感心させられる。




2012年8月30日木曜日

「佐渡金山」磯部欣三

佐渡へ行ったのは随分前のこと。
この本はさらにそれ以前のものだが、佐渡の歴史がよく伝わってくる。
数年前に近くの古本屋で見つけて更に数年眠らせた文庫本。
読み始めると、旅に出たような感じになるのは、著者がよくよく佐渡を歩きまわったからだろう。

佐渡はあの島の形状もそうだが、実に神秘的だ。
行こうと思ったきっかけの一つが宮本常一の本だったかもしれない。
金山の坑道にも入ったが、粉雪が舞う季節なのに、あんまり暑いのでびっくりした。
やはり足尾銅山に入ったが、あっちは寒い。確か夏だ。
地底の中も核も違うものかと思った。
あんなところで無宿人のように水替えなんかさせられたらたまったもんじゃないと、つくづく体感した次第。

この本を読むと、島の風景が蘇ってくる。「山椒大夫」の厨子王がよくやく盲目となった母と出会うところもこの神秘の島、佐渡にある。

2012年8月5日日曜日

「若林奮 犬になった彫刻家」酒井忠康」

評論家と作家の関係の羨ましい本だ。

若林奮の彫刻を見た時の違和感はなかなかだったことを
読んで思い出した。

彫刻とは何か、自分は何を彫刻だと思っていたのか
などなど
を考えさせてくれるが、それが三十年近くたっても
奇妙な印象として残っている。

そう言う違和感の体験の
位置を占めるだけの作品が存在するとしか言いようがない。