以前から
母の年代を代表するような映画がなかったのは不満だった。
「さびしんぼう」のマシュラあだ名の浦辺粂子も
「八月の狂詩曲」のおばあちゃんもちがう。
余生ばかりで業がないのだ。
もっと身近なキャラクターがあっても
と勝手な不満を抱いていたが、
ある時から希林がその個人的な母像と重なってきた。
このインタビュー集「希林さんといっしょに。」
も面白いタイミングで読んだかもしれない。
樹木希林は己の母と重なるイメージで鑑賞してきたが、そうもいかなくなってきた
はっきりと意識したのは…
「歩いても 歩いても」、「我が母の記」、「海よりもまだ深く」あたりで、
「万引き家族」の肉体の衰えを晒すさまに至っては
他人ではなく己の母を見守る思いがした。
去年九十歳で冥土へと旅立ったが、なかなかの濃いキャラで
食事や旅行の際など、生前細君がひどくおもしろがっていたが、
生々しい血の系譜を思い煩うと、忌々しさの方が勝り
容易に愉しめなかったのだ。
元々この希林に似たキャラで、
「ほら、あなたのお父さんよ」と
自らの選んだはずの亭主を見知らぬ第三者の如き云う時の
母の位置づけはどこにあったのか…
早くも息子の記憶力が彼女のよりも劣化したと感じられると
たちまちこのような回りくどい表現をするのだ。
「ああ。お母さんのだんなさんね」
と応え、以前の腹立たしさも爆笑に変わった。
よくある話だが、いなくなってみれば
どれも年寄りのたわいのない毒っけのようで懐かしい。
それほどの隔たったの距離になった。
しかし、希林のような老婆女優が
なかなかいなかったのは、ちょっと不思議な気がする。
有吉佐和子の「恍惚の人」の映画版は、森繁だったし、
大林宣彦の浦辺粂子の老婆も、宮崎駿の「トトロ」や「ポニョ」のも
ちとちがう。
希林はそれ以前の老いた母像を刷新したのだ。
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