2020年6月30日火曜日

内田百閒の続き


ラジオ小川洋子の紹介を
機会に内田百閒「柳検校の小閑」を読みはじめ、その他の未読も読んでみた。
全集では「残月」のタイトルとなっている。

夢を描くのが上手なだけあるが、これは手と耳の短編。

主人公は盲目のお箏の先生。
目は不自由だが視力以外の気配の感覚はするどく、見えぬ暗闇に
心惹かれる相手を見る。
その繊細な心模様が微かに触れる手の感触のように伝わる。
しかし関東大震災、想いは実らず、
ゆえに深い余韻が残る恋愛小説とラジオで語っていた。

その検校だが、「朝雨」は、
親交深かった宮城道雄が亡くなった後の辛い気持ちを書き記している。
尾道へ来てから毎年行く鞆の浦。
民俗資料館にこの琴の名人の記念コーナーがあり港町を見下ろすように
彫像があった。


昭和38年に新潮社刊行の日本文学全集23と2000年代版の東雅夫編集、
新装アンソロジーのを平行に読んでみるが、百閒先生には旧漢字やらがとても合う。
文字に閉じ込められた時代の気配が何とも云えぬ。
ちなみに
内田百閒、中勘助と坪田譲治集で
中野、新井薬師には妻の実家があった「銀の匙」の中勘助が63歳の時
疎開先に棲んでいた。
そう言えば大妻学園の、あの辺もかっての散歩コースだったが、
住宅はどうなったか…墓は変わらないが家はもうないだろう。

それとこの全集三人の解説を「魔の山」を訳した
ドイツ文学者高橋義孝が書いている。
この人は、「まあただよ」でいなくなったノラを嘆く百閒先生を案じ、
所ジョージたち元生徒が探しまわり猫為に新聞広告やらをするが、
その時のひどい電話、ノラは死んだよという主がこのドイツ文学者だった
と何かに書いてあったと記憶している。

本当だとすれば、いや
そうでなくともこれも含めて百閒先生的なエビソードではないか。



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