内田百閒を愛した生徒やらが建てた墓なのだと云う。
林芙美子も吉良家の墓も隣りの寺にあり、史跡的な散策コースだった。
ちょうどいい散歩で、ついで何度かお参りに寄ったが、
初めては…黒澤明の遺作の時か…忘れてしまった。
「まあただよ」は内田百閒と彼を慕う元生徒たちとの交流が描かれるが、
大学時代観た「ツィゴイネルワイゼン」の方が遥かにおもしろかった。
狐系眷属の妖婦の如き大楠道代の怪しげな雰囲気が見事とな配役だった。
狸系の代表は、白石加代子はだらう。
あの妙な感じ、鈴木清順監督が創りだした怪しげな演出か、「けんかえれじい」も
素晴らしく妙な、妄想男子の性的リビドー演出が愉快と感心したが、
小説を手に取れば、
スクリーンでの魅力は原作の本領こそ百閒なのだと知る。
あの「まあただよ」キャラと小説がまるで異なるのは不思議。
黒澤の映画自体素晴らしいが、内田百閒の小説となんだか一致せぬ。
(彼の夢小説の不気味さを黒澤はどう思っていたんだ…あっちのが合いそうだ)
多分黒のみにとどまらず白の百閒も読んでおくべきだった。
今現代では当たり前になったあのペットロスに嘆く老人が、元祖の人物なのだ。
「特別阿房列車」もおかしい。こちらは元祖「鉄ちゃん」だ。
用も金ものないのに鉄道に乗りたがる作者でわざわざ金を借りる算段してまで、
大阪行きの列車に乗ろうとする。
一等にすべきか弁当は、などなど悩む様
空想に算段に算段を重ねるのが愉快に描かれている。
「棗の木」も白の百閒。
妙な高利貸しからの催促のやり取りが面白い。ついに裁判にまでなるが、
そのやりとりは落語みたいだ。
それだけ個性的な風変わりなキャラを洞察し描く百閒が面白い。
この短編は水木しげるのよう。
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