2011年4月1日金曜日

「王のパティシェ」ストレールが語るお菓子の歴史



パリにある1737年創業のお菓子の店、ストレール。
その創業者にニコラ・ストレールが82歳の晩年に記した日記だ。

14歳のとき王位を追われたポーランドの大公の厨房で働くこととなったが、
このスタニスワム大公が実に大変なる食道楽。

しかも自らの思いつきを実行させる。

モンテーニュ曰く、食道楽など七つ大罪のひとつ
と教えられていた時代、そんな大公に気に入られたおかげで
それは罪ではないと教えられた記す。

この日記が、ちょっとパトリス・ルコントが撮っても良さそうな映画みたいだ。
そう感覚的な、アメリカ的じゃないフランス映画だ。

レシピの日誌なのにやはりフランス人がやるとこうなるのか、とも感心。

2011年3月26日土曜日

「映画は語る」


淀川長治。
この方は、映画の妖精だと思う。

いなくなった後で…

それがいつからいなくなったのかという期間もあるけど…
いなくなってから、よくわかるということがある。

ひさしぶりに淀川長治の「声」が聞きたくなった。

誕生から百年以上たった映画は、今現在のDVDを中心として見る映画とも
70年代や80年代の場所に縛られてみる映画とも違っている。

もっと神秘的で、より娯楽性が高かった。

映画の黎明期から黄金期を体感してきた淀川長治は、
今の映画を、生きていたらどう思うだろう。


ちょっとそんなことを思いながら読んだ。

2011年3月1日火曜日

黒澤明が愛した山本周五郎

近頃、本が読めなくなった。
どうも読みたくなる意欲が乏しい。
そういう困った時には、山本周五郎。

他の人に聞くかどうかわからないが私には薬。

「柳橋物語」を読んだが、やはり効いた。

この面白さ、
読者ともに庄吉も幸太も、主人公のおせんが本当にどちらが好きなのかわからない点にある。

ただ先に聞かれた相手に、答えたがゆえに約束として存在し、
それが実在として固まってくる心情が見事なのだ。

先回りされた幸太がそれでも思いを捨てきれず、大火事の際に助けようと身を投げ出す。
杉田屋という大名の屋敷にも出入りする大工と、母との関係もまわりの主観的な見解によって知らされ、
なにかしら養子入りした幸太への影響の与え方もうまい。

考えてみれば、母も他界しているし、辛い思いをした事も過去に過ぎないが、
祖父が語る杉田屋の養子話があるのとないのとでは深みが異なろう。

その語りすぎない描き方が上手なのだ。
作者のいずれにも肩を持たない、公平な表現がなければ物語と失敗するかもしれぬ内容だ。

もう一つの
育ちの違う家具職人の弟子と親方の娘まきとの話、「むかしも今も」もうまい。

さて
黒澤明は、この山本周五郎の小説を企画含めて、5本も取り組んでいる。

芥川龍之介の「羅生門」、ドストエフスキー「白痴」、ゴーリキー「どん底」、
シェークスピアでも、「蜘蛛巣城」、「乱」の2本。

原作の映画化「は、「日々平安」の、「椿三十郎」、
「赤ひげ」、「どですかでん」。

残された企画が「雨あがる」と「海は見ていた」となる。

山本も黒澤も、その作品性はエンターティメントにありながら、
純文学以上に磨き上げられた芸術的な技にある。

そういう意味ではこの二人の巨匠は本当に稀な存在だと思う。


【関連記事→「大系黒澤明」http://s-tusin.blog.so-net.ne.jp/2010-07-10】

2011年1月22日土曜日

「北野武による「たけし」」ミシェル・テマン

まずこのインタビューに興味があった。

フランス人の著者との間を
ペナンの語り部の系譜にあるゾマホン氏が通訳で繋いでいる。

その様子はなかなか想像しがたい
いつもの北野武の一人称的語りで
著者の姿が容易に感じられない。

だが相手がいるだけのことはあり、通常ならおそらく語らない
ところにも及んでいるように思う。

スタンリー・キューブリックが好きだと言うのは、とても意外な気がした。


あわせて「HANA-BE」を見たが、
シーンとシーンとのカットがいつもながら強い。
不思議な緊張感がある。

黒澤明が「夢」のスケッチを北野武に送ったそうだが、
天才は天才を知るということか。

2011年1月7日金曜日

「ねむり」村上春樹


電子書籍が話題だけども、本には書籍としての物質性がある。
以前フィレンツェのサンマルコ修道院にある図書館で「本」を見たら
動物の毛がついた表紙で、鉦の鋲が打ち込まれ、鎖までついていた。

しかもかなり重そうだ。

それに比べたら今の本はかなりカジュアル。

それとどうも日本では通勤読書が大きな優位性をしめるためか
書籍としての本にあまり個性を求めぬ傾向がある。

だからこそ、電子書籍なんだろう。

しかし、そこばかりではつまらない。

この小説は文庫で読んだ短編だけど、
こんなふうに何枚もイラストが入った書籍にすると、
ずいぶんと違った印象になる。

そういうポイントとコンセプトで
もう少し本という世界を変えてもらえたらうれしい。

内容の方もこの不眠症の女が前より輪郭がはっきりしている。
その分のせいか、終わりの
閉じ込められた車のインパクトが変わったように感じた。

どちらが好みかはそれぞれだろう。

今度は、手直し前の「眠り」の方を再読してみようと思う。

2010年12月21日火曜日

村上龍「歌うクジラ」







この作家もデビューからそれほど離れずに読んでいる。


本の見出しにある、グレゴリオ聖歌を歌うザトウクジラの発見と、少年の冒険の旅、
という言葉で、勝手に
村上龍版の「海辺カフカ」とも想像。

読み始めると、冒頭は山上たつひこの「光る風」、
それに続く展開に、大友克洋の「アキラ」が重なってきました。

性と生を管理する管理社会の未来を描いた反ユートピアの世界。
そこをめぐる少年の話は、
どうも「キャッチャー・イン・ザ・ライ」を
思い出してしまいました。


個人的には、
「コインロッカー・ベイビーズ」がやはり毒があっていいです。

2010年12月3日金曜日

ヘルマン・ヘッセ「デミアン」

読むのははじめての大作家だが、とてもおもしろかった。

まるで
萩尾望都の「トーマの心臓」ではないか…
と思うのも妙かしら…

とくに出だしが上手い。

一歩先んじている不良のクローマーがまるで手下を使うように
川の屑を探すあたりや、この仲間同士での自慢でのリンゴを盗んだと話をでっち上げてしまうあたりが見事。
悪事の自慢大会で
一堂の期待に酔いしれ自らのウソにうっかりと溺れてしまうシンクレール。
それをずる賢いクローマーに本当のことだと誓い、抜き差しならない窮地に陥る。


これによって脅かされ続ける
主人公のシンクレールの苦痛が始まる。

これを救うデミアンとの話を読むうちに
かっての中学の頃を思い出してしまうが、
考え見たら、
そんな記憶が蘇がえらぬのなら名作とは呼べないのかもしれない。